書評vol.1「ハサミ男」

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「ハサミ男」(殊能将之)

 

あらすじ

舞台は2003年の東京。女子高生2人が同様の手口で殺害される事件が発生していた。2件とも被害者の喉にハサミが深く差し込まれていたことから、マスコミは犯人を「ハサミ男」と命名。ハサミ男は連続猟奇殺人犯として世間の耳目を集めていた。

一方、ハサミ男は3人目の犠牲者を選び出し、入念な調査を行っていた。しかしその調査の中で、自分の手口をそっくり真似て殺害された犠牲者の死体を見つける事となる。先を越されてしまったハサミ男は、誰が殺害したのか、なぜ殺害したのかを知るため調査を開始する。(Wikipediaより)

 

 

※以下、ネタバレがちょっとあります!!

 

 

読み終わってから、この作品が叙述トリックの代名詞的作品であることを知った。

叙述トリックとは、作中の人物が仕掛けるトリックではなく、作者が文章上の仕掛けを用いて読者に対してミスリードなどを誘う手法である。

意図的に情報を伏せることで読者の先入観を巧みに利用し、最後に驚愕の事実としてタネ明かしがされる(男だと思ってたら女性だった、現在の出来事だと思い込んでいたが過去の話だったetc…)というものである。

 

さて、僕はこの「ハサミ男」に叙述トリックが使われていることは全く知らなかったわけだが、わりと序盤の段階で「これは叙述トリック以外にあり得ないだろう」と見当がついてしまった。

カンの良い、またはミステリ小説を読みなれた人ならきっとピンと来るはずである。

作者は明らかに本来なら必要な情報を意図的に提示してない、またははぐらかしている節がある。

その最たるものが「主人公の名前が出ない」ことだ。

この小説は主人公(ハサミ男)と、事件を捜査する刑事のそれぞれの視点で語られているのだが、主人公の一人称が「わたし」なのだ。

「僕」でも「オレ」でもなく「わたし」。そして全く登場しない主人公の本名。

やはりどう考えても、このあたりに秘密が隠されてるのは明白だ。

そう思って注意深く読み進めていったのだが…結論から言うと「主人公は実は〇〇だった」というドンデン返しには気づくことは出来なかった!

 

確かにその仕掛けには驚いたが、納得できない部分も少なくない。

特に納得できないのが「太っているという認識」と「あの二人が同い年という偶然」あたりだろう。

「太っている云々」の件は本人の認識なのでまあ良しとすることも出来なくはないが、年齢に関する偶然(というか、ミスリードを誘うための設定)はアンフェアというか、

腑に落ちない部分であり、叙述トリックが鮮やかに決まったとは言い難いものがある。

 

この手の作品は、その驚愕の事実が判明したとき思わずページを遡って確認したくなるもので、そのときに作者が仕掛けた伏線や叙述のテクニックに改めて驚愕……するかどうかが肝である。

確かに「今まで読んでいた世界観が根底から覆る」という驚きは得られたが、読み返すと前述のように色々とアンフェアな部分が浮き彫りになり、総合的には「うーむ」という評価になってしまった。

タイトルからしてすでに作者のトリックが始まっている点や、「猟奇殺人の犯人が模倣犯を探す」という設定そのものも非常に面白く、全体的には決してつまらない作品ではない。むしろ小説として十分面白い仕上がりになっているのだが、真犯人の正体なども含め総合的に「うーむ」というところに落ち着いてしまう。

 

ちなみに他作品のネタバレになってしまうのでタイトルは伏せるが、この手の「最後の最後で世界観がひっくり返った!」という驚きで思い出すのが、我孫子武丸のアレ、近年映画化もした乾くるみのアレ、東野圭吾の初期ミステリ作品のアレ。

逆に「面白かったけど、叙述トリックのための強引な設定がちょっと興ざめする」という点では西澤保彦の同じ日を何度も繰り返すアレ…などなど。

 

特に我孫子武丸のアレは、当時まだ僕自身がミステリ小説を読み始めたばかりということもあり、強烈に印象に残っている。

Amazonでは「よく一緒に購入されている商品」として並んでいるので、まだ未読の方は是非。

 

 

ハサミ男 (講談社文庫)

ハサミ男 (講談社文庫)