映画「屍人荘の殺人」をAmazonプライムで鑑賞した。
まず一言で感想を述べると「うーん、トータルつまらねえ!」と。
いや、これ原作読んでるんで、ストーリーがつまらないとかそういうことではなく。
原作は、主人公とヒロインの距離感というか関係性も面白かったし、かなり興奮して一気に読んじゃうくらいには面白かった。
なによりもミステリとして読みはじめたら、すぐに「アッ」という展開が巻き起こり、それでいて最後まで本格ミステリとして成立しているという点に唸った。その設定自体に賛否があるかもしれないけど、僕はめちゃめちゃ楽しめた。
で、その映画化なんだけど……なんだろうね、なんでここまで緊迫感とか緊張感を無くせるんだろう…?
コメディっぽいテイストにしたかったのだろうけど、その割には登場人物(役者)が皆そういう方向性の演技、キャラクターかというとそうでもないし、どうにもチグハグな印象が終始付きまとう。
というよりギャグ(?)がことごとく滑ってるし、それどころかむしろ推理劇やサバイバルホラー要素の邪魔でしかなっていない。何でこんな演出を挟むのかが謎。
原作からしてライトノベルのような軽さがところどころ垣間見えるものではあったから、そのエッセンスを取り入れたかったのかもしれないが、肝心のミステリやホラー要素をぶち壊してまでやる必要が果たしてあったのだろうか?
というより、この監督が演出するとやっぱりこうなってしまうのね…という感じ。
スタッフとか全く知らずに観始めたが、開始数分で「これって、名前は忘れたけど、オレが嫌いな、あの監督じゃあるまいな…」とずっと思っていて、中盤のあるシーンで疑惑は確信に変わった。
例の「ごく短いカットをこれでもかと切り替えて、目が痛くなるだけの不快な演出」を多用するあの人…。
「ぶ、ん、しょう、で、ひょう、げん、する、なら、こ、んな、感じ」。
そもそもこのカット割り、面白いの?流行ってるの?なんの意味があるの?
こんなんを「演出」だと思うなよ、ばかやろう。
そもそもこの監督の師匠にあたる監督もあまり好きではないのだが、それに輪をかけて嫌い。寒いだけならまだしも、本当に見づらい。
それでもまあ、その中盤のシーンを除いては比較的「高速カット割り演出」は抑えられてたと思うし、正直「めちゃめちゃつまらない」というわけではなかった。
浜辺美波のキャラが改悪され(相撲の型?がその最たる例)、そもそも彼女が演じるには少し幼いような感じもあったが、キャスト陣は全般的に悪くはなかった。
原作小説を2時間にまとめ、それなりに「伏線」と「トリック」を見せたのは良かったと思う。さながら「金田一少年の事件簿」のテレビドラマである(脚本家は同じ人)。
ただしラストシーンは超噴飯モノ。
あの……なんなんすかアレ?
スタッフは誰もあの状況に疑問を持たなかったの?ご都合を通り越してコントじゃん、あの状況、あの登場の仕方。
でもね、最初はそう思ったんだけど、エンドロールを眺めながら「いや、違うな」と。
これね、演出家含め、スタッフ全員、観客をバカにしてるんだと思う。
「ここで〇〇が登場したら驚くだろ」
「なるほど!原作読者も別のエンドを期待しますしね、一瞬!」
「そうそう、で、振り返るとやっぱり…」
「そこであのセリフですか!いいですねえ~。…いや、ちょっと待ってください。いくらなんでも状況に無理がありませんか?」
「ん?」
「あれだけ居た他の〇〇〇はどこに行っちゃったんですか?てゆーかここは館からどれくらい離れてるんですか?いや、そもそもそのとき〇〇隊は何してるんですか?」
「……あのさ、そんなことは別にどうでもいいんだよ。ビックリさせたいからこういう展開にする。それでいいじゃない。」
「大丈夫ですかね」
「大丈夫!ご都合主義とか気にするのは一部の映画マニア気取った連中だけで、だいたいの観客はそんなこと気にしないから!特にこの映画を観るような客層はさ」
「そう…ですね!そうですよね!なによりビックリしますもんね!この展開!一瞬ですけど!」
「そうそう!一瞬ビックリする!ビックリさせたい!それだけ!細けーことはいいんだよ!がははははははは」
「あははははははは」
「がははははははは」
……という会議を勝手に想像して勝手にムカついてました、とさ。
それくらい、ラストシーンは必見。日本映画の悪いところがほんの2~3分に全部詰まってる。お見逃しなく!