1年くらい前の話…。
犬と言うのは飼ってみなければ分からないことが色々あって、その一つに「人それぞれの犬との距離感」というものがある。散歩をしているとそれがよく分かる。
散歩中、すれ違う人がどういう反応を持ってウチの犬を見るのか。
半分くらいの人は普通にすれ違うが、3割くらいの人は犬にアイコンタクトや笑顔を投げかけてくれる。そして2割くらいの人は声をかけたり撫でたりしてくれる。
ウチの犬はポメラニアンで、ただでさえ小さくてかわいいのだが、これが「人懐っこい」を通り越してバカが付くほどの人好き。
少しでも目が合ったりしようものなら、その人に抱きつこうと尻尾フリフリからのワッショイワッショイ。
通行人のほとんど全ての人に「感動の再会」みたいなリアクションをするときもあり、散歩が一向に進まないときもあるくらいだ。
動物がちょっと苦手で「今まで犬を抱いたことがない」という人でもすぐに抱っこしてメロメロにさせるくらいのスキルは持っている。
小型犬特有の「無意味に人に吠えかかる」という行動は一切しない。というか、散歩中に人に吠えたり敵意を向けたことは一度もない。
そんな我が家のポメラニアンである。
と、ここまでウチの犬が如何に愛くるしいかという説明をさせてもらったが「どんな犬だろうが犬そのものが苦手、嫌い!」という人が存在するのも理解している。
だから、犬が別段迷惑をかけてなくても、近くを通ったりすれ違うだけでしかめっ面を向けてくる人がいるのは仕方のないことだ。
ウチの犬は吠えたり不快な思いをさせたりはしていないはずだが「こんなかわいい子にそんな態度をとるなんて!」とは思わない。むしろ歩道を歩きにくくさせていることに申し訳なさすら感じる。
公共の場でのマナーなどはそれなりに気を付けているつもりだ。
まあ、露骨にウチの犬に嫌悪を向けてきた人は記憶する限り3人くらいしかいないのだが(全員オバハンだったのは興味深い)。
そして、実はここからが本題というか書きたかったこと。
そんな“露骨な嫌悪オバハン”たちを軽く凌駕する、クレイジーな女性と遭遇したので、その話を。
ある日の昼頃、散歩を兼ねて通帳に記帳しよう思い、奥さんと一緒に駅の方へ犬の散歩に出かけた。
駅ビルのATMには僕一人が入り、奥さんと犬は外で待たせていたのが、もう一つ別の銀行の通帳も記帳したかったので、ATMから出てすぐに隣のATMに向かった。ATMとATMの間に奥さんと犬が待っていて、僕は特に奥さんに話しかけることなくその前を通過しようとした。
その時---。
「危ない!!」
後ろで女性の声がした。怒りと叱責が入り混じった声だった。
所謂、金切り声というやつだ。
すぐに振り向くと、向こうから歩いてきた30代後半から40代くらいの女性が僕の奥さんと犬の前で立ち止まり、怒りの表情で立っていた。
その瞬間、僕の頭にはさまざまな考えが過った。
「犬が苦手なんだろうな」「でもリードもあんなに短く持っているし、犬が飛びつこうとした様子もないし、ましてや吠えてもいないし、ちょっと大げさすぎじゃないか?」
「目の前はロータリーで、通路も決して広くはないけど、なるべく壁側に寄っているし…ここは一言謝ってやり過ごすか?」
などなど思考回路を巡らせていた次の瞬間、その女性は大声を上げた。
「オスワリッ!!オスワリィィィッ!!!」
低く威圧するような大声をポメラニアンに向けて2回発した。
冗談とかではなく、本気で相手を制圧しようと威嚇するような声だ。もしくはドラマとかで見る、凶悪犯に対して「止まれ!止まらんと撃つぞ!!」などと警告するような言い方だった。
ほんの0.5秒くらいだが、これには面食らった。あれだけ人懐っこい我が家のポメラニアンもドン引きである。そもそもずっとおすわりしてるし。
これは異常だぞと慌てて二人の間に入り「え?なに?なんなの?」と言いながら睨みつけた。
いや、目線は合わせなかったかも。正直、怖かった。
「なんだお前のそのリアクションは!?引くわッ!」という意思表示をするのが精一杯だった。
女性はなぜか僕を見て一瞬笑い、次の瞬間には何事もなかったように、いや、少しバツが悪そうにそそくさとバス乗り場の列に並び始めた。
なぜ女性が一瞬笑ったのか。
これは僕の憶測だが、おそらく僕が彼女(奥さん)のツレだとは一瞬判断出来なくて、思考回路が表情に追い付かなかったのだろう。
その一瞬の笑顔も相まって、ずっと黙っていた奥さんがついに「気持ち悪りィ…!」と言葉を発した。もちろん目は人殺しのソレで。
こうなってしまうと手が付けられないのがこの小さい巨人である。
とりあえずこの小さいモンスターには離れたところに行ってもらい、僕は改めてATMに向かった。
ATMから出て少し女性の様子を見ていたが、こっちを意識しているような様子もない。
奥さんのところに戻ると、我が犬が小さい子を抱いた母親に可愛がられている。
奥さんは「なんかあいつ挙動不審なんだけど。口に手を当ててブツブツ言ってる」と言うので「じゃあそういう人なんだよ。もう行こう」とその場を離れようと促した。
今はあの女性がどんな人かより、この小さい殺し屋予備軍の気持ちを静めることが最優先だ。
とは言え、僕なりにムカついてはいたので「ウチの犬がこんなに可愛がられている場面を見せつけてやろうか」などとチラッと思い、最後にバス停の方に目を向けると…あれ?バスに乗ってない?
さっき並んでたはずのバス停のバスはもう行ってしまった。女性はそれに乗ることなく、フラフラと歩いている。むしろこっちに向かってきている。
ハナから喧嘩などする気などはないが、得体の知れない不気味さにますます恐怖を覚えて、僕らはその場から立ち去ることにした。
当然、その道すがら、奥さんはずっとご立腹である。
「あのような場面に出くわしたとき、どうするのが正解だったのか」とか「帰ったら絵に描いてみよう」とか「二の腕が太かったのしか覚えてない」とか「あーゆーのは合コンでも相手にされず、行き遅れて、それで誰彼構わず当たり散らしてんだよクソがッ!!クソがあぁぁぁ!!」などなど。
奥さんは口汚いクソ野郎に変貌していた。変貌と言うかこれが彼女の本性ではあるのだけど。
僕はと言えば、実はそこまで怒ってはいない。
むしろ、やはり恐怖の感情が強い。ブルブル震えるタイプの恐怖ではなく、異質なものに触れたときの不思議な気持ちというか、触らぬ神に祟りなしというか…。
こういうときにアレコレと考えても無駄である。
むしろ何とか面白く転換する方法を考える。
というワケで、もう1度あの女性に遭遇するかもしれないので、そうなったらむしろラッキーと思うことにした。レアポケモンのような存在にしておけば、もし偶然また遭遇しても気が滅入るどころかワクワクするかもしれないから。
名前はテキトーに「ニノウーデ」としておく。
あれから1年。
ニノウーデは未だゲットできず。